
こんにちは。
今回はNHKの「逆転人生」で特集された
桜井博志さん 獺祭で有名な旭酒造代表について
・桜井博志さんのプロフィール
・桜井博志さんの経歴
・獺祭の由来と昔の名前は!?
について調査しました。
獺祭が日本でブームになったのは
桜井博志さんの獺祭への思いがあったから
だからこそということが調査をすすめると
わかりました。
是非記事をよみすすめて
あなたも共感していただければと思います。
桜井博志さんのプロフィールのまとめ
桜井博志さんのプロフィールのまとめをwikiより簡潔にまとめました。
名前 | 桜井博志(さくらい ひろし) |
生年月日 | 1950年生まれ |
職業 | 旭酒造 会長 |
出身地 | 山口市岩国市 |
出身校 | 松山大学 卒業 |
旭酒造と聞いても代表的なお酒がでてこない
人もいると思うので代表的なお酒を紹介します。
それは、
テレビなどでロンドンブーツの田村淳さんも
美味しいと絶賛していた「獺祭」を
作っている酒造会社なんです。
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では、旭酒造はどこにあるかというと
山口県岩国市周東町というところにあります。
岩国市といえば錦帯橋や米軍基地や山賊などで
有名です。
この周東町とは、
錦帯橋や米軍基地や山賊からさらに山奥に
すすんだ場所にあります。
酒蔵の側には獺祭ストアがあり
アイスやそこでしか購入できない
商品もあります。
獺祭ファンの方は一度は
訪れてみるのも面白いかもですね!
桜井博志さんの経歴のまとめ
桜井博志さんの経歴のまとめをwikiより簡潔にまとめました。
桜井博志さんは山口県で生まれます。
現在会長を務めている旭酒造は1770年創業と
江戸時代からの古い歴史のある酒蔵です。
桜井博志さんは松山大学を卒業後、
一度は旭酒造に入社するものも
父親と経営の方法について折り合いがつかず退職する。
その後は、自身で石材卸売業を営み
その会社を年商2億円の規模まで成長させるが
父親の急逝により家業である旭酒造を継承する。
会社を継承してからは
桜井博志さんは獺祭の研究をスタートします。
桜井博志さんが獺祭を開発する
キッカケになった思いは
「純粋においしい酒をつくりたい」
という実は単純な思いから生まれたお酒なんです。
獺祭の開発の成功によって
旭酒造の売上をなんと40倍もアップさせることに
成功したんです!!
売上を40倍にもできた理由としては
・杜氏の作業を完全デジタル化
・より広いマーケットエリアへ
・自社商品「獺祭」への信頼と自信
このような思いや戦略によって
売上を40倍にすることにができたようです。
獺祭はある時は幻の酒として
とても高い値段で転売されいてる時期がありました。
それは、うまい酒だからそうなってしまったのも
事実ですが。
桜井博志さんは、うまい酒を普通に購入してほしかったと
約30億円をかけてあたらしい酒蔵を建築されたんです。
その酒蔵をみた人の中には、
これが酒蔵なのか?獺祭も駄目になるのか?
などの声もあったようです。
でも、実際はさきほどお伝えしたように
杜氏を使わない誰でもいつでも同じ品質の
商品を常に作ることができるシステムづくりを
していたからこそ酒蔵の見た目は
私達が知っている木造の古い日本家屋のような
酒蔵から遠くかけ離れた見た目になっているだけ
味はより洗練されているはずです。
現在は、桜井博志さんは世界のマーケットに目を向け
パリやニューヨークなどでも獺祭を販売しています。
みなさん知っていましたか?
フランスのパリではお酒であるワインの年間消費が
2000億円あるのに対して日本酒はまだ100億円の
規模しかないんです。
それは、日本酒というお酒の味の癖に関係しているの
かもしれませんが獺祭を飲んだこのある人は知っているとは
思いますが獺祭は日本酒とは思えないほどの甘みがあります。
私は日本酒が飲めないのですが、
そんな私でもその口当たりの柔らかさに
ついつい飲みすぎてしまうほどでした(;´Д`)
そんな獺祭の海外での活躍は期待できると思ってます。
獺祭の由来と昔の名前は!?
実は、
獺祭って最初から獺祭という名前では
なかったって知っていますか?
獺祭は、最初は「旭富士」という名前だったんです。
では、なぜ獺祭に名前を変えなければ行けなかったとかというと
「おいしいお酒をひろげるため」に名前を変更したんです。
というのも、
旭富士は当初、地元の山口ではそこそこ売れていたのですが
全国的にはまだまだ知名度も低く知られていなかった
というのです。
旭酒造という会社を経営していくためにも
お酒は売らないと行けないが
地元の山口や隣の広島で販売したとしても
購入者の分母が少ない方法をしていくと
いずれは価格競争に陥ると思った
桜井博志さんは
新しいものを受け入れることに抵抗の少ない
東京で旭富士を販売できないかということを
考えたそうです。
でも、
旭富士という名前では山口の地元感が強すぎる
なにかいい名前がないだろうか!?
と考えた結果
桜井博志さんの地元の地名である獺越(おそごえ)から獺の一文字を
使い獺祭と言う名前にしたそうです。
この獺祭という名将は
正岡子規の俳号や司馬遼太郎の坂の上の雲にもでてくるそうです。
知っている人は知っているのかもしれませんね。
桜井博志さんは獺祭という名前を
人の心に記憶に残りやすいと感じて選んだそうです。
まとめ
今回は桜井博志さんと獺祭について
紹介しました。
やはり、
マーケティングは重要ですよね。
競合が少ないマーケットに常に目を向けていた
桜井博志さんは世界という舞台に獺祭という日本酒で
戦いを挑み続けています。
私達も常に何をするのかということを考えるだけでなく
なぜそれをするのかということを考えながら
行動することが大切なんだと教えてもらえた気がします。