村上龍男さんの逆転人生 クラゲで有名な鶴岡市立加茂水族館を∨字回復させた男のプロフィールと経歴とは

こんにちは(*´∀`)

本日はNHKで放送される
逆転人生で村上龍男さん(鶴岡市立加茂水族館 名誉館長)が
特集されることになりました。

鶴岡市立加茂水族館と聞くと

「ん!?」

となってしまいますが山形県にある
クラゲで有名な水族館というと・・・

そうですよね。
多くの方が想像できたのではないでしょうか。

そこで今回は、
鶴岡市立加茂水族館を閉館の危機から
世界一の水族館へと導いた村上龍男さんについて
色々とリサーチしてみました。

内容は、

・村上龍男さんのプロフィール
・村上龍男さんの経歴
・鶴岡市立加茂水族館がどの様な経緯で世界一の水族館になったのか
・鶴岡市立加茂水族館の集客力を上げた影の功績者とは

についてお伝えします。
是非最後まで御覧ください。

村上龍男さんのプロフィールのまとめ

村上龍男さんのプロフィールのまとめをwikiより簡潔にまとめました。

名前 村上龍男(むらかみ たつお)
生年月日 1939年11月26日
出身地 東京都渋谷区原宿
職業 鶴岡市立加茂水族館 名誉館長
出身校 山形大学 農学部

【鶴岡市立加茂水族館の所在地】

〒997-1206 山形県鶴岡市今泉大久保657−1
0235-33-3036

村上龍男さんの経歴のまとめ

村上龍男さんの経歴のまとめをwikiより簡潔にまとめました。

1939年に東京都渋谷区で生まれる。

東京都で生まれたそうですが
何らかの理由で高校までに
山形県に住居を移されているようです。

山形県にある基督教独立学園高等学校を卒業した後に
村上龍男さんは山形大学農学部に進学する。

大学を卒業した後は民間企業へと就職するが
1966年から加茂水族館に勤務することとなる。

ここからが彼の水族館の職員としての
人生の始まりである。

1966年に市営だった加茂水族館は
なんと翌年の1967年に民間企業へと
売却されたそうです。

当時、職員だった方々はわけも分からぬまま
民間企業へと籍を移したそうです。

そんな中、なんと
村上龍男さんは27歳という若さでいきなり館長に
抜擢されてしまうのです。

もちろん、いきなり館長になった
村上龍男さんはとてつもない不安や障害が
あったに違いありません。

しかし、彼はそこからさらにどん底を
味わうことになるのです。

それは、加茂水族館が民間へと売却されてから
4年が経過したとある日、加茂水族館を管理している
民間企業が経営不振の理由で水族館を閉鎖することを
決定したのです。

この時に残っていた職員は4人だったそうです。

残された魚の事を考えると
居ても立ってもいられなかった彼は
展示されていた魚達のために
必死に頑張ったそうです。

村上龍男さんは自らの資産も担保に入れ
必死に水族館の為に働きました。

頑張っている人は誰かが見ているんですよね。

そんな村上龍男さんたちの姿を見ていた
地元の方々からの餌の寄付や募金などで
どうにか1年間を耐え忍んだ後に
地元出身の方が経営している会社が
水族館の管理会社として名乗りを上げてくれたのです。

しかし、経営不振で閉館することになった
水族館なので新オーナーが見つかったと言っても
来館されるお客様が増えるわけではかったのです。

そこで、
村上龍男さんは様々な企画を考えては
実施してみるのですが、どれもこれも
失敗に終わってしまうのです。

当時の実行した企画は、

・ラッコやアシカなどの導入
・世界のナマズ展
・アフリカの魚展
・シーラカンスと古代魚展

などの企画を行ったそうです。

加茂水族館に逆風はさらに吹き立てます。

それは、近隣に効率の大型水族館が
次々とやってきたことです。

水族館に来園されるお客様は
年々、減少していき最後に起死回生を
狙って1997年に開催された
企画「生きたサンゴと珊瑚礁の魚展」
を行うも、この年の加茂水族館の来館者数は
過去最低の9万2千人という結果に・・・

そして、ここから
村上龍男さんと加茂水族館の逆転人生が
はじまるのです。

散々に終わった企画である
生きたサンゴと珊瑚礁の魚展ですが、
実はその時に”とある生物”が発見されていたのです。

その生物とは”サカサクラゲ”というクラゲです。

それを発見したのは、奥泉和也さん(現鶴岡市立加茂水族館 館長)
だったのです。

奥泉和也さんはクラゲの飼育員としては現在では
世界各国から飼育員がアドバイスを受けにくらい
クラゲに関しては世界的な飼育員となっています。

こちらに奥泉和也さんに関する記事があるので
興味がある人は是非読んでみてください。

ふとしたことから発見したサカサクラゲを飼育して
500円玉ほどの大きさになった時に展示してみたところ
来館していた人は興味津々に!

村上龍男さんはこれだ!!と思い
奥泉和也さんと村上龍男さんは共同で
クラゲの飼育にチカラを入れたのです。

現在では、
水族館にクラゲが展示されているのはあたり前だと
思いますが、当時では非常に珍しかったのでしょうね。

2000年にクラゲに特化した水族館として
来館者数を10万人にまで戻すことに成功します。

そして、業績はぐんぐん回復し2002年には
再び鶴岡市が水族館を運営することになり
”鶴岡市立加茂水族館”に返り咲くことに。

2014年には来館者数が約84万人と
一番落ち込んだ1997年の9万2千人の
約9倍まで見事に∨字回復させるのです。

2015年に長きにわたって館長を務めた
村上龍男さんは引退し後任に奥泉和也副館長が
館長に成ることになります。

2019年には、
鶴岡市から村上龍男さんは
鶴岡市立加茂水族館の名誉館長に
任命されます。

経営破綻で閉館の危機に陥った時に
村上龍男さんと4人の職員が
奔走しなければ今の鶴岡市立加茂水族館は
存在していませんでした。

自分の資産を利用してまでも
水族館の生物のことを考えて
存続させることに尽力した
村上龍男さんはチープな言葉ですが
”すごい”としか言いようがありません。



鶴岡市立加茂水族館がどの様な経緯で世界一の水族館になったのか

鶴岡市立加茂水族館がどの様な分野で世界一かというと
クラゲの飼育している種類が50種類以上と
世界では唯一の水族館なんです。

その経緯は先程お伝えした。
「生きたサンゴと珊瑚礁の魚展」の時に偶然発見した
3mmほどのクラゲだったんです。

このクラゲの飼育にフォーカスして特化した
水族館を作ったことが世界一おおくのクラゲの種類を
飼育している水族館として注目されることになったのです。

現在も今も
”選択と集中”という点では
成功するビジネスモデルは共通なんだなと思います。

なんとなく世界一というわけではなく
2012年にはクラゲの展示種類数が世界一という理由で
ギネス・ワールド・レコードにも登録されています。

鶴岡市立加茂水族館の集客力を上げた影の功績者とは

鶴岡市立加茂水族館の集客力をあげることになった
クラゲを「生きたサンゴと珊瑚礁の魚展」で偶然発見したのが
情熱大陸に出演された奥泉和也さんです。

もし彼がいなかったら村上龍男さんのチカラだけでは
加茂水族館を∨字回復させることはできなかったかもしれません。

しかし、逆に
村上龍男さんが居なかったら奥泉和也さんも
現在の世界で有数なクラゲの飼育員には
なっていなかったでしょうね。

本当に運命って因果なものだと思ってしまいます。

しかし、村上龍男さんが全面的にバックアップして
奥泉和也さんの研究に協力することにした。

クラゲという武器で勝負することに決めた
彼の戦略も当時では斬新だったに違いありません。

当然、周りからの反対もあったと思いますが
村上龍男さんのビジネスプランと
奥泉和也さんの飼育の成果が
うまく噛み合った結果が今の
鶴岡市立加茂水族館の業績アップに繋がりました。

影の功績者として上げるのであれば
奥泉和也さん(現鶴岡市立加茂水族館 館長)です。

まとめ

いかがでしたか?

鶴岡市立加茂水族館の経緯を見ていると
本当に番組タイトルの逆転人生という
タイトルに相応しい内容だと思ってしまいました。

現在は、
村上龍男さんは鶴岡市立加茂水族館の名誉館長を
されています。

そして、村上龍男さんが復活させた
鶴岡市立加茂水族館は次の世代である
奥泉和也さんに引き継がれ
そして、さらに次の世代へと
引き継がれていくのです。