朴柱奉監督(パクジュボン)はバドミントン日本代表を強くした功労者!その理念や方法を紹介!実はスゴい本人の実績も・・・

こんにちは。

バドミントンの世界選手権で
全ての種目(5種目)において
日本代表選手が全て表彰台にのる
という史上初の快挙を達成しました。

もちろん、表彰台にのった日本代表の
バドミントン選手もスゴいのですが
実はその影には朴柱奉(パクジュボン)監督という
バドミントン日本代表の監督の存在が
大きかったのです。

そこで今回は、

・バドミントン日本代表の朴柱奉監督はダブルスの神様!?
・プロフィール
・朴柱奉監督の勝利するための理念とは

などを中心にお伝えしていきたいと思います。
きになーる(*´ω`*)人は最後まで
読んでみてください。

バドミントン日本代表の朴柱奉監督はダブルスの神様!?

みなさんは知っていましたか?

現在のバドミントン日本代表の監督である
朴柱奉監督がダブルスの神様と
呼ばれていたことを!

朴柱奉監督は大韓民国(韓国)の元代表選手です。

ダブルスの神様という二つ名を持つだけあって
その戦績もスゴいんですよ。

そこで

・オリンピック
・世界選手権
・アジア大会

での彼の戦績を紹介します。

【オリンピック】

バルセロナオリンピック(1992年)男子ダブルス 金メダル
アトランタオリンピック(1996年)混合ダブルス 銀メダル

 

【世界選手権】

1983年 コペンハーゲン 男子ダブルス 銅メダル
1987年 北京 男子ダブルス 銅メダル
1985年 カルガリー 男子ダブルス 金メダル
1985年 カルガリー 混合ダブルス 金メダル
1989年 ジャカルタ 混合ダブルス 金メダル
1991年 コペンハーゲン 男子ダブルス 金メダル
1991年 コペンハーゲン 混合ダブルス 金メダル

 

【アジア大会】

1986年 ソウル 男子ダブルス 金メダル
1986年 ソウル 混合ダブルス 金メダル

1990年 北京 男子ダブルス 銀メダル
1990年 北京 混合ダブルス 銀メダル

上記の様に本当に
朴柱奉監督(パクジュボン)は輝かしい実績を現役時代に
残しています。

朴柱奉監督の生涯戦績は公式戦

・シングルス:103連勝
・優勝67回(国際大会)

本当にスゴい戦績です。

この実績がどれくらいスゴいかというと
実は2001年に朴柱奉監督は
世界バドミントン連盟の殿堂入りをしているんです。

殿堂入りという言葉がイメージできない人は
野球界で言ったら

・長嶋茂雄
・王貞治
・古田敦也
・松井秀喜

などを想像してもらえると
その凄さが少しはわかるかもしれません。

ちなみに日本人でバドミントンの殿堂入り
を果たしているのは現在、湯木博恵さんただ一人である。



朴柱奉監督のプロフィールのまとめ

朴柱奉監督のプロフィールのまとめをwikiより簡潔にまとめました。

名前 朴柱奉(パク・ジュボン)
生年月日 1964年12月5日
出身地 韓国・全州
職業 バドミントン日本代表監督ル
監督期間 2004年11月~

朴柱奉監督の経歴のまとめ

朴柱奉監督の経歴のまとめをwikiより簡潔にまとめました。

先程お伝えしたように
朴柱奉監督はバドミントン界では
とても有名な選手であり日本代表のチカラを
着実に揚げてきた功労者です。

彼は現役時代は

・シングルス:103連勝
・優勝67回(国際大会)

もちろん地元である韓国では
敵などおらず無敵でした。

指導者としての経歴は、

・イギリスナショナルチームのコーチ
・マレーシア協会との契約

などを経て日本代表の監督に
なっています。

日本代表の監督に就任したのは
アテネオリピックが終了して3ヶ月後の
2004年11月からです。

日本代表のヘッドコーチを受けたのは

・世界の舞台に戻りたい
・日本をレベルアップさせる自信
・韓国からの距離感
・大会などで30回以上訪れていた

など様々な条件が重なり
朴柱奉監督はバドミントン日本代表の監督の
役目を受けることにしたそうです。

そして、ここから日本のバドミントン界の
変革がはじまったんです。



朴柱奉監督の勝利するための理念とは

朴柱奉監督がバドミントン日本代表を
はじめてみたときの印象は・・・

「なぜそんなに勝利への執着がないんだ!?」

ということだったそうです。

当時の印象は、勝利への執着がないという言葉で
表現されていますが、実際は

「勝つことを諦めるまでの速さ」

に驚いたということのようです。

そこで、
朴柱奉監督がバドミントン日本代表を
強くするためにしたことは

・小さな目標を設定し達成させる
・自分たちの世界での立ち位置を確認させる
・ナショナルチームとしての練習時間の増加
・フィジカル面とスピードの強化

など様々な事を日本のバドミントンを強くする
為に行ってきました。

その中で代表チームに所属する実業団選手の
母体である実業団からクレームを言われる
こともあったそうです。

しかし、彼は日本の為におくすることなく
実業団とも話をし大きな国際大会の前には
代表チームとして合宿を行ったりと
様々なことを積極的に取り入れて
日本を確実に強くした。

皆さんの知るところでは

・オグシオ(小椋久美子&潮田玲子組)
・スエマエ(末綱聡子&前田美順組)
・フジカキ(藤井瑞希&垣岩令佳組)

この様な花形選手も生まれてきている。

フジカキペアに関しては、
朴柱奉監督は彼女たちが高校生の頃から
関わっており日本代表の監督に就任してから
16年が経過する2020年の
東京オリンピックでのメダル獲得
そして、オリンピック2大会連続メダルを
虎視眈々と監督・選手とともに狙っている。

まとめ

いかがでしたか?

日本のバドミントン界を盛り上げたのは
私は”朴柱奉監督”のチカラと言っても
いいと思っています。

彼がいなければ

・オグシオ
・スエマエ
・フジカキ

などのペアも生まれることはなく
さらに今回の世界選手権での全種目
表彰台という快挙も達成する
ことはできなかったと思います。

朴柱奉監督は実はリオオリンピックを最後に
日本代表の監督をやめようと思っていた
そうなんですが、地元である日本で
オリンピックが開催されることが決まり
日本の為にと監督として続投をすること
決意してくれました。

現在のバドミントン人気を作った影の
功労者である朴柱奉監督が
どれだけスゴい選手であり監督なのかと
言うことを少しでも多くの人に知ってもらいたい
と思います。