小林秀一さんが巨人からのドラフト1位指名を蹴った理

こんにちは。

今日は「消えた天才」というTV番組で特集された
小林秀一さんがなぜ「消えた天才に」なったのかを
番組を見逃した人でもわかるようにリサーチしました。

そんな今回の内容は、

・小林秀一さんのプロフィール
・小林秀一さんの経歴
・小林秀一さんが巨人からのドラフト1位指名を断った理由とは!?
・小林秀一さんは愛知学院大学で現在は准教授として活躍中

についてまとめてみたので
気になる人はこのまま読みすすめてくださいね。

小林秀一さんのプロフィールのまとめ

小林秀一んのプロフィールのまとめをwikiより簡潔にまとめました。

名前 小林 秀一
生年月日 1951年4月20日
出身地 熊本県上天草市
職業 愛知学院大学
教養学部 教養部本属 准教授
野球選手としてのポジション 投手
投球フォーム アンダースロー
出身校 高校:八代第一高校 大学:内容

これが
小林秀一さんの簡単なプロフィールです。

あと小林秀一さんの出身校である
八代第一高等学校は現在は甲子園の常連である
秀岳館高等学校と名前を変えています。

この記事では秀岳館高等学校は甲子園常連と
説明しましたが、実はサッカーも強豪校なんですよ!

八代第一高等学校(秀岳館高等学校)からプロ野球選手に
なった人たちはこちらです。

・与田順欣(元プロ野球選手)
・豊永隆盛(元プロ野球選手)
・中島弘美(元プロ野球選手)
・渡辺長助(元プロ野球選手)
・遠山奬志(元プロ野球選手)
・松中信彦(元プロ野球選手)
・国吉佑樹(プロ野球選手)
・藤吉優 (元プロ野球選手)
・宮本秀明(プロ野球選手)
・九鬼隆平(プロ野球選手)
・松尾大河(プロ野球選手)
・田浦文丸(プロ野球選手)

松中信彦選手は、
ソフトバンクホークスや日本代表でも
活躍し本塁打王やベストナインにも
選出されたんので記憶にあたらしい方も
多いと思います。

話がそれてしまいました・・・・
次は小林秀一さんの経歴についてです。

小林秀一さんの経歴のまとめ

小林秀一さんの経歴のまとめをwikiより簡潔にまとめました。

小林秀一さんがどのような経歴を持っているか調べてみました。

小林秀一さんが野球をはじめたのは小学生からだそうです。
残念ながら何年生からかは不明でした(;´Д`)

小学校の時からポジションは投手として
活躍されていたそうです。

その後、中学校でも野球を続け

小林秀一さんは八代第一高等学校(現:秀岳館高等学校)に進学
実家のある上天草市を離れ寮生活をしながら野球に打ち込む。

高校1年生までの投球フォームは
オーバースローでしたが、その後
小林秀一さんはアンダースローに
投球フォームを変更する。

高校時代は地元のメディアから
「八代第一高等学校に小林あり!!」
と絶賛されるが
高校3年間は残念ながら甲子園には
縁がありませんでした。

高校を卒業し
小林秀一さんは愛知学院大学に進学します。

彼は愛知大学リーグで大学4年生の時に大活躍し
チームを10季ぶりの優勝に導きます。

さらに最優秀選手に選出されたんです!

全日本大学野球選手権大会では惜しくも準優勝に・・・

その実力で第2回日米大学野球選手権大会の
日本代表にも選出されます。

この時点で小林秀一さんはかなり輝かしい実績を
持っているとみなさんは思うかもしれませんが
実は、大学時代の投手としての総合成績の方が
もっと凄いんです。

小林秀一さんの大学時代の投手としての成績

出場試合 43試合
成績 21勝6敗

通算防御率 0.93

どうですが!?
凄くないですか(゚д゚)!

この時点で当然
小林秀一さんはプロ野球界からの注目の的ですよね!!

しかし、
小林秀一さんは巨人からのドラフト1位指名を断って
熊谷組で野球をする道を選択するんです。

なぜ、
小林秀一さんは巨人からのドラフト1位指名を断ったのかは
後から具体的に説明しますね!!

熊谷組に進んだ彼は8年間ほど
社会人野球に取り組みます。

その後、
小林秀一さんは母校の愛知学院大学の野球部の監督に
就任します。

監督としての成績は15年で12回ほど愛知学院大学を
優勝に導いています。

立派な成績ですよね。

現在は、
小林秀一さんは愛知学院大学の
教養学部教養部本属の准教授として
教員になるという夢を叶えられています。



小林秀一さんが巨人からのドラフト1位指名を断った理由とは!?

それではお待ちかねの
小林秀一さんが巨人からのドラフト1位指名を断った理由ですが

実は、小林秀一さんは将来の夢はプロ野球選手ではなかったんですね。

じゃあ、どんな将来を望んでいたかというと

・教職員
・アマチュア野球の指導者

上記の仕事に携わるのが夢だったそうです。

でも、実際に巨人からドラフト1位指名をされた時は
心が揺れたそうです。

そりゃあ心はゆれまくりですよね・・・

普通なら喜んで入団すると思いますよ。

過去で巨人からのドラフト1位指名を断ったのは
小林秀一さんだけなんですから(;´Д`)

ではなぜ、
小林秀一さんは巨人からのドラフト1位指名を断ったのでしょう??

それは、当時のプロ野球界とアマチュア野球会との確執(柳川事件)や
湯口事件が関係しているということです。

小林秀一さんの将来の夢であるアマチュア野球の指導者になるためには
当時の規定でその夢を叶えることがかなり難しかったんです。

現在は、プロアマ規定も緩和していて
小林秀一さんが50代の時に受けたインタビューでは
今の規定であれば巨人からの指名を受けていたでしょうと
回答されています。

そのこともあり、彼は悩んでいたそうなんですが
小林秀一さんが指名を断る最後の決断をさせたのは
当時の巨人の監督である川上哲治監督の一言だったそうです。

「入団することが決まっている熊谷組は会社員として仕事をしながら
野球をしなければならない。しかし巨人では野球のみに没頭できる」

このような内容の言葉を聞いた彼は、
野球を仕事にしたいわけではなかったことを
再確認し、遂には巨人からの指名を断ったのです。

巨人からの指名を断り、自分の夢を優先した
彼の意志は本物でありお金や名誉に揺らぐことのない
彼の行動は尊敬に値しますよね!

小林秀一さんは愛知学院大学で現在は准教授として活躍中

小林秀一さんは現在は愛知学院大学で准教授として
活躍されています。

先程お伝えしたように
小林秀一さんは愛知学院大学の野球部監督を
脳梗塞で倒れるまでの15年間続けられています。

ここで見事にアマチュア野球の指導者になるという夢を
実現されています。

その後は、同大学の教養学部で
助手→講師→助教授→准教授という順番で
教壇に立たれています。

准教授としては、

・企業スポーツの現状と求められる役割についての一考察
・本学短期大学生の健康とダイエットの実態-ボディイメージの歪みと健康度との関連

などの論文を発表されています。

その他にも、
日進市教育委員会委員としても活躍されています。

彼はプロ野球選手にはなることはできませんでしたが
そのかわりに見事に

・教員になる夢
・アマチュア野球の指導者になる夢

両方の夢を叶えることができたのです。

まとめ

いかがでしたか?

彼の信念の強さを感じることができる
逸話ばかりでした。

2019年の今でも
巨人からのドラフト1位指名を断ったのは
小林秀一さんが唯一の存在なんです。

確かに、プロ野球選手になることは
野球をやっている人の夢かもしれませんが
仮に自分に他の夢があっても
なかなかプロ野球選手というブランドや収入の
魅力には打ち勝てないと思います。

もし私が同じ立場なら間違いなく
指名を快諾していたでしょうね。

それを断る意志を持っていた彼は
本当の彼の夢を叶えることに成功したんだと思います。